神戸三原間汽車発着時間表(第4191号 表面) 画像をクリックすると拡大します。 | 明治26年4月8日に山陽新報(山陽新聞の前身)の付録として印刷された、1枚刷りのチラシである。
明治24年7月に岡山ー笠岡間の山陽線が開通し、関西方面からの汽車による参拝が可能となった。ただこの時金神駅(現金光駅)は常設されておらず、大祭ごとに仮駅ができていた。平生の折の参拝者の乗降駅は鴨方駅であったという。
大谷金神駅汽車停車及各駅間往復賃銭割引表には、「金神駅汽車発着時間は不定なれば玉島、鴨方間中央時間を取るべし」とある。この表から、神戸から金光の参拝時間を見ると概ね6時間程であったことがわかる。また、神戸ー三原間全線を運転する列車は1日に5本。途中までを入れても11本しか運転されていない。10分から15分に1本は列車が発着するこんにちから考えると、興味深い。
大谷金神駅汽車停車及各駅間往復賃銭割引表の注意欄には「◎8日は神戸発下り3番列車停車◎9日、10日は夜行を除くの外毎列車停車◎11日は三原発上り3番列車停車す」と書かれている。
山陽線が開通して2年後の当時、金神駅が仮駅であれ作られていること、さらに金光教団が独立する以前の時期でありながら、すでに金神駅乗降客を対象にしたこのようなチラシが印刷されていることから、明治24年の時点においてもご霊地の大祭時には列車を使用しての多数の参拝者が押し寄せていたことが推測される。
|